冬の奈良を歩く⑪《餅飯殿商店街はおもしろい》

ボス弁:季節のこころ模様
02 /21 2018
冬の奈良を歩く⑪
《餅飯殿商店街はおもしろい》


餅飯殿(もちいどの)というおもしろい名前の商店街がある。
昔、東大寺の僧が吉野の大蛇退治をするときに、この付近の若者が餅を作って、手助けをしたことからついた地名だという。
商店街の入り口の右側に餅屋があり。
速く餅をつくことで時折、テレビに登場する。
餅を買おうとしたが、20分待ちだといわれた。
この商店街、昔はさびれて、うっすらとホコリを被ったような店が多かった。
今回、久しぶりに通って驚いた。
外国人などもいて、かなりにぎわっている。
トルコやアフガニスタンの商品を売る店などもあり、
新しい店がいっぱいできていて、結構、楽しめる。
女の子が一人、立っていた。
よく見ると手にフクロウをのせている。
《フクロウ喫茶》の呼び込みだ。
《写真撮らせてもらっていい?》と言って、OKを取った。
《フクロウで癒されたい》人が行くのだろうか。
人はいいが、フクロウはストレスがたまって大変だろう。


フクロウカフェの呼び込み
この女の子、少しフクロウに似ているように思いませんか?


(弁護士 大澤龍司)

冬の奈良を歩く⑩《十輪院の「ハチの巣」を持ち帰る》

ボス弁:季節のこころ模様
02 /20 2018
冬の奈良を歩く⑩
《十輪院の「ハチの巣」を持ち帰る》


依頼者の女性から《主人の永代供養を奈良の十輪院にお願いしました》と聞いた。
そのときは、《どんな寺?》と思っていたが、その後に本に載っているのを発見した。
昭和の初めころに日本に来たドイツ人のブルーノ・タウトという有名な建築家がいた。
この人は京都の桂離宮の清らかさを激賞したことで有名だが、この十輪院にも来て、寺と周辺の簡素さや静かさに感動し、《奈良に来たら、まずこの寺に行かなくては》と言ったという。
宿で一泊した翌日の朝にこの寺に行った。
奈良町のはずれあたり、住宅街の中の小さなお寺であった。
本堂は国宝だが、東大寺や薬師寺などの《荘厳な伽藍》とは違い、簡素で小ざっぱりした感じの建物であった。
庭も掃除が行き届いている。
庭を横切って、初老の女性が寺内の住家の方に入っていくのを見かけたが、住職の奥さんかもしれない。
帰り際に褐色の《蜂の巣》のようなものが置いてあり、「自由にお持ち帰りください」と書いてある。
よく見ると蓮の実であった。
庭に池があったから、そこに咲いた蓮の実だろう。
小さなことだが、その心遣いがうれしい。
遠慮なく持ち帰らせてもらって、今は自宅の玄関に飾っている。



十輪院
簡素な佇まいの十輪院



蜂巣とは蓮の実
蜂巣とは蓮の実のことであった



(弁護士 大澤龍司)

冬の奈良を歩く⑨《明恵上人が神を感じた場所》

未分類
02 /19 2018
冬の奈良を歩く⑨
《明恵上人が神を感じた場所》


春日大社の本殿を右の方に行くと《明恵上人の遥拝所》と書かれた案内板がある。
道の脇に9つの石が置かれ、綱で囲まれている、ただそれだけがある。
上人は鎌倉時代の僧で、京都栂ノ尾の高山寺の住職であった(リンク:ブログ山の尾根の《明恵の松》)。
が、春日大社との関係をうかがわせる話がある。
この上人は、本当に純粋な人で、釈迦にあこがれ、その生まれたインドにぜひ行きたいと念願していた。
しかし、春日明神の《上人は日本を離れてはならぬ》という託宣があって、あきらめたという。
このような縁があったのであれば、明恵上人が春日大社に来たこともあったろう。
不思議なのは、その遥拝所は本殿から遠く、近くには社(やしろ)や祠(ほこら)など拝む対象《物》がないことである。
しかし、人は神を祭るために社を作るが、そのような建物が存在することによって、かえって神からへだてられ、身を持って感じることができなくなるのではないか。
案内には、この所から「春日大社本殿を遥拝された」というが、山や木に遮られて本殿は見えなかった。
山の斜面で、木々が生えているにすぎないが、まさにそのような場所で上人は神の存在を感じたのではないか。
本殿があろうがなかろうが、心に念じたその場所にこそ神はおられ、拝むべきであると上人は考えたに違いない。


遥拝所の案内板
綱で囲まれただけの遥拝所

綱で囲まれただけの遥拝所


(弁護士 大澤龍司)

冬の奈良を歩く⑧《神官が歩いたささやきの小径》

ボス弁:季節のこころ模様
02 /16 2018
冬の奈良を歩く⑧
《神官が歩いたささやきの小径》


泊まった宿は住宅街の高畑町の東のはずれにあり、塀の向こうは飛火野である。
玄関を出て20メートルほど歩けば志賀直哉の住んでいた家があり、
その手前を左に入ると《ささやきの小径》である。
何度も歩いたことがあるため、今回はパスしようと思った。
しかし、長男が是非、行きたいという。
昔、お母さんと歩いた道だから、という。
この道は、ほぼ直線で春日大社に通じており、その神官が利用していたという。
木々がうっそうと生えているため、薄暗くて、陰気な感じがする。
これまでに4度ほど歩いたが、途中で人に会うことはめったにない。
なぜ、《ささやき》という名前を付けられたのかは知らないが、大きな声で話しながら元気に歩くような陽気さはなく、途中にも見るべきものは何もない。
ただ、昔のことではあるが、朝、この道を歩いたとき、森の奥の一か所だけに日が照っていたことがあった。
スポットライトのように、薄暗がりの中でその部分だけが輝いていた。
神々しいというのは言い過ぎにしても、心に残る光景であった。
神官であれば、思わず柏手を打ち、拝んだであろうか。


ささやきの小径
薄暗い《ささやきの小径》


(弁護士 大澤龍司)

冬の奈良を歩く⑦《仲麻呂のみた月は》

ボス弁:季節のこころ模様
02 /15 2018
冬の奈良を歩く⑦
《仲麻呂の見た月は》


山際から満月がでるときに、《月って大きいなぁ》と驚くことがある。
しかし、実際は5円硬貨を持ち、手を伸ばした時のその穴のぐらいだという。
それをいかなる理由によるのか、人はかなり大きく感じるようだ。

日が暮れかかり、飛火野を出るとき、月が出ていることに気付いた。
「天の原 ふりさけ見れば 
春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
奈良時代の遣唐留学生阿倍仲麻呂の歌の世界ではないか。

仲麻呂は唐の最盛期である皇帝玄宗の時代に中国に行き
そこで高い官職にもつき、李白や王維という大詩人とも交流があった。
(当時の唐の長安は、今でいえばニューヨークというところだろうか。)
唐にあること35年目にして、仲麻呂は日本に帰ることになった。
歌は、その時のものであるという。
しかし乗った船が難破し、命からがら長安に戻った仲麻呂が、その後、日本に戻ることはなかった。
そして仲麻呂は晩年、唐の役人(節度使)として安南(ベトナム)にまで行き、結局、73歳で世を去ったという。

さて、仲麻呂は、先ほどの歌を詠んだ後も、もちろん何度となく、月は見ていたであろう。
安南でもし、月を見ていたとすれば、その時、心に浮かんだ《故郷》は唐の都の長安であったろうか、あるいは奈良であったろうか。

長安も奈良も浮かんだとすれば、浮かび出た月のイメージはどちらの方が大きかったであろうか。


飛火野の月

飛火野の月(中央の木の右上の小さな点が月である)



(弁護士 大澤龍司)