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5月の風に吹かれて妙高山を撮る

ボス弁:季節のこころ模様
06 /06 2017
タイトル画像(妙高2)決定


妙高山を見るための一番、定番の場所は《いもり池》である。
実は昨年の9月、長男と来たことがある。
その時は曇りで、妙高山頂は雲の中であった。


①昨年のいもり池
昨年のいもり池。山頂は見えなかった。
水面は外来種の水草が大繁茂していた。



今回、5月3日と4日はスッキリと晴れており、
青空を背景にした妙高山を見ることができた。
まずはその写真を見ていただこう。



②雪を頂く妙高山と咲きだした桜
雪を頂く妙高山と咲きだした桜



ついでに妙高山に向かって左側の黒姫山の写真も載せておこう。
確か、昔、そういう名前の相撲取りがいた。

③黒姫山
黒姫山。妙高山ほどのゴツゴツ感はない
なだらかで、姫という名が似合っている



ところでここに載せた写真だが、ここに来たみんなが同じような写真を撮っているようだ。
手前にいもり池、そこに咲くミズバショウを入れたり、いれなかったり、そして頂上に雪を頂いている妙高山と役者がそろって、まるで絵葉書のような写真になる。
《きれいですねー》とほめられても、それは景色がいいのであって、撮影している人の腕前をほめているのではない。

まあ、率直に言えば、個性がない写真とでも言えようか。
目先を変えて、夕方に撮影したが、名脇役の夕焼けがないため、ただ、薄ら黒い山になってしまった。


④夕方撮影
夕方に撮影。
夕焼けがあればもっと違う感じになったが。



前景を変えようと、いもり池のバス停から建物を入れて撮ってもみたが、これも、又、絵葉書写真になっている。


⑤いもり池のバス停からの絵葉書写真
いもり池のバス停からの《絵葉書写真》


前景に人を入れてみたらと考えて、好田先生を入れた写真を撮った。
もし、魅力のある写真になっているとすると、それは先生の持ち味が写真に反映しているということだろう。

代り映えしないというのなら、それは私の写真の腕が悪いということにしておこう。
より、悪くなったというなら、それは・・・・


⑥好田先生
我が恩師、好田先生


ついでに頂上にかかる雲をいれた写真もご覧いただこう。
少しはアクセントになっているだろうか。


⑦妙高高原3日目の朝
妙高高原3目日の朝、今日も爽やかである


いもり池から苗名の滝方面にバスで10分ほど走ったところに、杉野沢を超えたあたりには畑が広がっている。
信濃の黒茶褐色の土が広がっていた。
農家の女性が3人ほど、耕作をしていた。
ジーンズなどではなく、みんな野良着姿であり、それがかっこよく見えた。
いかにも風景に溶け込み、妙高山と一体の景色として溶け合っているようだ。
《あ、ここを撮影したい》と思ったが、バスはもちろんそんな気持ちを考慮することなく、サッサと通り過ぎていった。

ミレーの画で「落穂拾い」というのがあるが、あのように女性をアップしたようなものではなく、しかし、人物が点々のような小さいものでもいけない。
妙高山という大きな自然、農作業をしている人間の営み、それらを調和した形で写真に取り込むというのもいいかもしれないと思った。

突然、話が変わるが、妙高高原へは東海道新幹線経由(東京⇒長野)で来た。
静岡近辺で富士山が見えた。
曇りだったが、それでもふもとから頂上まで見えていた。
《絵に描いたような景色!》と声がした。
近くの座席にいた60代くらいの女性だった。
同じ言葉を3度も繰り返した。
車内に広がるような大きな声だったが、よほど、感激したのだろう。
窓の外の富士山を見たら、頂上まで見えていた、
しかし、曇天のため、背景は灰色で、私は感激などしなかった。
列車内の他の客も特に共感をするような雰囲気はなかった。
あの女性はなぜ、あのような感動をしたのであろうか。

今、カメラはデジカメ時代であり、ピントや露出だけでなく、その場の光が太陽光なのか電灯なのかまでも全て考えて、撮影してくれる。
もし、あの声を出した彼女がそんなカメラを持てば、どんな写真をとるのだろうか。
他人には見えない、彼女だけが見ている何かを撮影することができるのであろうか。

(弁護士 大澤龍司)

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