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悲しみの行きつく果て・・大原の寂光院

ボス弁のぽつり一言
03 /03 2015
TEXT去年の大晦日に京都の大原に行き、
三千院と寂光院を回った。

それから、わずか2ケ月しか経っていないのに
三千院はどんなところだったか、
記憶が薄れている。
寂光院は憶えているのに。
そこに物語があるかどうかの違いのようだ。

建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の后になった。
その子も天皇(安徳天皇)になった。
しかし、徳子は平家と行動をともにし、
壇ノ浦の戦いで幼い安徳天皇を抱えてTEXT
海に飛び込んだが、徳子一人が助かった。
寂光院は京の都に戻った徳子が後生を送った寺だ。
本堂から少し階段を下り、5分ほど歩くと
暗い木立の中に徳子の住んだ住居跡がある。
建物の痕跡は全くなく、参拝客もほとんど来ない。
ただ石碑があり、その横に泉があるだけの寂しさだ。
ここに住んで6年後に徳子は死んだ。
ひたすら死ねる日を待ちわびた日であったろう。

寂光院は平成12年に放火され、本堂が全焼した。
犯人がつかまったのかどうか、
どのような動機で火をつけたのか、TEXT
徳子や平家と何らかの関係があるのか、
どこにも説明はなかった。
ただ、放火で全焼したことが案内に書かれているだけだ。

この2014年の最後の日、
夕暮れでうす暗く、雨も降りだした大原で
建礼門院徳子の悲しみのかけらを
少しではあるが、私は受け取り、記憶に刻んだ。
(2015.3.1 大澤)

※写真(上)は寂光院へ至る階段
※写真(中)は建礼門院徳子の庵跡の石碑
※写真(下)は年末の大原の風景

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