3年目の妙高・・その④ いもり池から苗名の滝へ(2)

ボス弁:季節のこころ模様
05 /29 2018
【いもり池に《イモリ》はいるのか?】

いもり池をのぞきこむと鯉がいた。
ただ、岸辺のどこを見ても、いもりの姿がない。
池の傍に説明板があり、いもり池の名前の由来が書かれていた。
昔、源氏の木曽義仲がこの池まで来た。
水を飲もうとした馬が驚き、騒いでいる。
義仲が見ると、赤い腹をしたイモリが沢山いた、それが池の名前の由来だと。
弟が、誰か地元の人からか、次のような話を聞いてきた。
《ここはもともと湿地帯であったのを掘って池にしたところだ。この池にはイモリはいない。ただ、池近くのビジターセンター(ミニ博物館)なら1匹くらいはいるかも》
私は、イモリを見たいわけではないので、まぁ、いてもいなくても、どちらでもいい話ではある。
ただ、堂々とした妙高山と釣り合わせるためには、小さいより、やはりこのような広さの池がいい。
いもり池は、その向こうにある山の大きさと見事につり合いがとれている。
絵葉書的な風景ではあるにしても、見事でかつ壮大でもあり、おそらく妙高屈指の観光スポットであろう。


義仲といもり池
木曽義仲と「いもり池」



いもり池と妙高山
池があって妙高山が映える


(弁護士 大澤龍司)

3年目の妙高・・その④ いもり池から苗名の滝へ(1)

ボス弁:季節のこころ模様
05 /28 2018
【3日目は晴れて、ハイキング日和】

今回は3回目の妙高への旅行だ。

最初は、一昨年で、日帰りで妙高に来た。
いもり池を見、その後、バスに乗って苗名の滝に行った。
名所だけをスポット的に見ていく、いわば《点の旅》であった。

昨年は好田先生の別荘に3泊させていただいた。
妙高高原管理組合というなんともいかめしい名前ではあるが
関学の学長さんが企画し、開村したという。
この時は、好田先生に案内されて、
別荘地という狭い範囲ではあるが、
そのほとんどの道を歩いた。
これは《面の旅行》というべきか。

今年は、是非、いもり池から苗名の滝まで歩いてみたいと思った。
これは名所をつなぐ《線の旅行》というものだろう。
その線の出発地はいもり池である。
一緒に歩くのは私の長男と東京にいる弟との3人である。
その日は前日の雨も上がって、さわやかな天気であった。


同行二人
同行の2人(右が東京の弟、隣が長男)



いもり池と黒姫山
右がいもり池、中央に黒姫山が見える


(弁護士 大澤龍司)

3年目の妙高・・その③  森の中の知的な花

ボス弁:季節のこころ模様
05 /21 2018
妙高高原管理組合のパーティで向かいに座っていた人に
「この中で一番、花に詳しい人はだれですか」と聞いた。
約50人もいる中で、一番の隅に座っていた女性だと言う。
隅まで行って、撮った写真を見せて聞いてみた。
「これは《えんれい草》」

地面から15センチほど、茎が立ち上がっており、
その上に大きな3枚の葉がある。
葉から、又、茎が3センチほどあって
その先に小さい花が咲いている。

なぜか、《人に見立てると・・》と思った。
背筋を伸ばしたような立ち姿で
スタイルのよい細身の女性、
花が小さいので小顔ということになろうか。

先日、裁判所の近くで知り合いの女性とあった。
ぼんやりしていたので気が付かず
向こうから軽く会釈をされた。
《あ、えんれい草》と思った。
このとき、この草からは知的という印象も受けていたことに気付いた。


延齢草の立ち姿
背筋をのばしていると書いてはいるが、この写真のは雨粒の重みでやや茎が曲がっていた。



延齢草の小さな花
その後晴れてきた。こんな、小さな花が咲いている。


(弁護士 大澤龍司)

3年目の妙高・・その② 森の恵みを味わう

ボス弁:季節のこころ模様
05 /16 2018
《ほうー》と息を吐いた。
2秒間程度の短いものだ。
心の奥底からのものであった。
この時の気持ちは表現しがたいが、
自己充足感というか、満ち足りた気持ちというのが
一番近い表現だろうか。

妙高高原村管理組合村(好田先生の別荘のある所)のパーティが終わり
村からいもり池まで一人で歩いて帰った。
雨のせいもあって、森の中の道はだれ一人もいない。
川の流れを覗き、針葉樹の木立を左右に見ながら
しゃがみこんではシダの生命力に感嘆し、
可憐な花があればその写真も撮りながらの散歩である。

時間を気にすることはなく、
他の人に気兼ねをすることもない。
これほどの自由で、気持ちのゆったりする時間を
以前に持ったことあっただろうか。
森の恵みというのがあるとすれば、
私にとってはこういう安らかな心のひと時をいうのであろう。


針葉樹の間
針葉樹の間を歩く



川の流れがきれい
川の流れがきれいだ


(弁護士 大澤龍司)

3年目の妙高・・その①  山が見えなくても景色はある

ボス弁:季節のこころ模様
05 /15 2018
今年も5月の連休に新潟県の妙高高原に行った。
天気予報では、初日と2日は雨、3日から天気が良くなるという。
最近の天気予報はよくあたり、妙高2日目は朝から雨であった。

いもり池ではカメラを持つ手が冷たくて困った。
妙高山や黒姫山などの山々が、雲のかなたで全く見えない。
ただ、いもり池の周囲の一連の木々がさわやかな黄緑色で美しかった。
《ああ、やはりいいなぁ・・》という気持ちが湧いてくる。
ただ、写真を撮っても、その色が出ない。
人間の眼とカメラが再現する色とは違うのである。

池の反対側、いつもなら妙高山が見える側に観光客がいた。
傘をさしているが、それが赤、青、黒、白など、
色とりどりに並んでいるのがおもしろい。
なぜか、突然、五線譜が頭に浮かび、
並んでいる傘が音符のような感じがした。

それぞれの人が歩くにつれて、
傘が近寄ったり離れたりし、音のない音楽が演奏されてもいるようだ。
山は見えなくとも、こんなような記憶に残るべき風景はあるものだ。


傘の音符
五線譜に並んだ音符のよう


(弁護士 大澤龍司)