今年の秋模様①

ボス弁:季節のこころ模様
11 /20 2017
振り返ってみる松花堂の紅葉
        (2017.11.4旅行)

八幡の松花堂庭園に行ってきました。
庭園を出たのは、午後4時で
夕焼けが始まろうとしていました。

庭園の方を振り返ると
この木が眼に入りました。

園内では気付かなかったですが
この木が最も見事に紅葉していました。


①如舫亭から池の蓮を見る

川沿いの道を歩く・・・哲学の道 2

ボス弁:季節のこころ模様
10 /13 2017
タイトル白沙村荘


【1300円は高いかもしれないが・・】
疏水に沿って、哲学の道を下っていくと銀閣寺道と交わる。
ここが哲学の道の下流側の終着である。
この道を右に曲がって歩けば銀閣寺門前に至る。
逆に左の出町柳方面に3分ほど歩くと日本画家橋本関雪の記念館がある。
《白沙村荘》という。

そこでもらったパンフレットには「日本画家が、東山の麓に描き出した文人の理想郷」と記載されている。
ここに何があると言えば、木々と草、池などで構成された落ち着いた空間がある。
入園料は1300円、ちょっと遠慮したくなるような値段でもある。

しかし、敷地1万㎡(3000坪)あり、建物も多いので、維持していくのは大変だろう。
高いと思えば高いが、池に面した部屋に座り、吹きぬけていく風を感じる、その価値をどれくらいとみるかで考え方も変わってくる。
さっさと歩いて、流れ作業で見て廻り、《はい、終わり》なら高い。
そうではなく、時間をかけて味わうというのであれば、少なくとも時間当たりの単価はそれほど高くはならないだろう。


①如舫亭から池の蓮を見る
如舫亭から池の蓮を見る


【蓮は天国ではなく、極楽の花】
白沙山荘に行ったのは8月16日の大文字送り火のあった翌日である。
池には蓮の花が5~6輪、咲いていた。

同行した友人が咲いている蓮をみて感激したのだろう、《きれい、天国みたい》と言う。
思わず、《天国と違う、極楽やろう》と言ってしまった。
濁った池から出ている大きな葉っぱ、その上の丸まった水滴、白い花弁に薄いピンクが指した花、これはおそらく仏教の世界である。

参考までに言えば、奈良、東大寺の大仏は蓮の花弁の上に座っている。
友人はクリスチャンである。
ユダヤやエルサレム、ヴァチカンにはこんな花はないであろう。



蓮の花

蓮の花
大きな葉、白色にうっすらとピンクが入った蓮の花

【カワセミが飛んでいる】
池に面した「存古楼」に座って、ゆっくりとしゃべりながら池を見ていた。
そのとき、池の反対の岸を左から右に、青色の何かがよぎった。
直線的な動きだ。

《まさか、カワセミ、まさか》

又、動いて、今度は蓮の池の方に飛んだ。
その時の写真が下である。


カワセミと蓮の写真
カワセミが蓮にとまっている《極楽の風景》


中央にカワセミが写っているのがおわかりだろうか。
山中の渓流にいる鳥というイメージがあるが、
まさか、こんなところにいるなんて思いもしなかった。

以前にここに来た時には見かけなかったのに。
この園内には関雪の絵画も展示されている。
その中にカワセミの絵の軸があった。


軸の絵の写真
関雪の描いたカワセミ(背景は清流のようである)


そうするとあのカワセミの先祖は関雪の時代にもいたのであろうか。
なにせ、ここは1000年の都で伝統を重んじるところである。
このカワセミも代々にわたって、この伝統の地を守ってきたのであろうか。

【時間が流れていく】
前回(去年10月)ここに来た時には、「存古楼」で謡曲の会合が開かれており、いかにも京都らしいという感じがした。




存古楼の内部にはただただ、広い板敷の空間が広がっている
(なお、今回の冒頭の写真の建物がその外観である)



この建物の池側(写真で言えば左端の窓側)に座って、池を見つめていた。
床が板敷の百畳以上もありそうな広い部屋である。
涼やかとは到底いえないが、それでも背中の方から、ゆったりとした風が吹いていた。

30~40分は座っていただろうか。
話もするし、沈黙もありで、時間がゆっくりと流れていく。
そんな豊かな空間での、そして優雅な時間でもあった。

【一群の《草》が印象的であった】
蓮もあり、カワセミも見たが、一番印象的であったのは《草》であった。
目の前の池の左端に、20数本ほどの草が群植されていた。
すんなりと背が高く、人の首あたりくらいまでの高さがある。
庭は丁寧に手入れされているので、この草も意図して植えられ、今まで維持されてきたのだろう。
おそらく花といっても、稲の花のようにほとんど目立たないようなものだろう。
もし、自宅の庭に生えていたら、すぐに抜いてしまうようなものだ。


芙蓉池
芙蓉池の北西岸に一箇所に固めて植えられている草


しかし、この庭では、池と見事に調和して、蓮以上の存在感があった。
(上の写真はアップしすぎているので、草の全体像が見えない。
もう少し、広角にした方がスッキリとした立ち姿と池の雰囲気との調和がわかりやすかっただろう。)

蓮とこの草とどちらを持ち帰るかと聞かれれば、それはもちろん蓮である。
しかし、そんな草でも、その植えられている位置や周囲の池との調和が良ければ、《いいなぁ・・》と印象に残ってしまう。

橋本関雪は1913年から45年までの間、この庭園の造営を行ったという。
この草も彼の美意識により、選びだされてその位置に植えられ、今日まで引き続き維持されてきたのであろう。
花も目立たないような草を見事に主役の一員として位置づけ、その個性を生かしている、ここに関雪の芸術家としてのセンスが見られるということだろう。

(弁護士 大澤龍司)

川沿いの道を歩く・・・哲学の道 1

ボス弁:季節のこころ模様
09 /25 2017
タイトル画像(新島襄)


【新島襄と八重の墓は静かな山の中】
今年の6月、京都の「哲学の道」を歩いた。
琵琶湖疏水に沿った散歩道で、
この道の上流側の出発点が若王子神社である。
鳥居の前で《新島襄、八重の墓》という案内板を見つけた。
同志社大学の基礎を築いた人とその妻である。
いつか行きたいと思っていた。
今回(平成29年8月16日)哲学の道を歩いたので、訪ねてみた。


【《にゃくおうじ》ってどこ?】
《にゃくおうじ神社へ行ってくれます》と言った。
運転手の《うん?》という感じが伝わってきた。
一緒に乗った友人が
《わかおうじ神社です》というと、やっとタクシーが動き出した。
大阪生まれだが、母方が京都の《半京都人》が機転をきかした。
目的地について、念のために案内看板を確認すると
若王子神社《NYAKUOUJI・・》と記載されていた。
やはり《にゃくおうじ》で間違ってはいなかったのではあるが。



①燕温泉の街並み
《Nyakuouji-jinja》と書かれている


【「女性の一人歩きは危険」な坂を上って行った】
墓への案内の看板には、墓まで徒歩20分とある。
細い坂道を上っていくようだ。
新島襄や八重にはあまり興味はないが、有名人の墓なので、きっと見晴らしがいいだろうと思った。
同志社大学(今出川)など、京都が一望できるに違いない。
坂の入り口には、《女性の一人歩きは危険です》という看板があった。
確かに道はせまく、薄暗かった。
途中、見晴らしの良い場所など全く1ケ所もなかった。



墓への道はこんな感じ


【新島襄・八重の墓は静寂】
2人で坂を上っていき、ちょっとしんどくなったなぁというタイミングで
左手に墓地が見え始め、その墓から更に3分ほど上ったところの左に目指していた墓があった。



新島襄(右)と八重(左)の墓
新島襄(右)と八重(左)の墓



墓の周囲は木々に囲まれており、京都市内が一望どころではなく、
陽も十分に射すようには思えない薄暗い墓地であった。
なぜこのような場所を選んだのだろうか。
襄の墓の横に八重の墓もあった。
襄の墓から少し離れ、大きさもかなり小さい。
数年前のNHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公だった。
しかし、八重の説明文や看板などは一切、なかった。

【墓の字は勝海舟が書いたもの】
墓の前に説明看板があった。


碑銘は勝海舟の揮毫
碑銘は勝海舟の揮毫


墓に刻まれた字は勝海舟のものだという。
以前、勝海舟の《海舟語録》という本を読んだとき、
勝が《新島襄の同志社が潰れそうだ》としゃべっている箇所があった。


《海舟語録》表紙
《海舟語録》表紙

  

勝と新島?どんな関係があるのだと不思議に思った。
新島襄をネット検索したところ、彼が《幕府の軍艦操練所》出身だと記載されているのを発見した(外部リンク:Wikipedia「新島襄」
勝は操練所のトップであり、その襄はその生徒だった。
勝が、かつての生徒であり、海軍軍艦の操船とは全く別の世界のキリスト教教育に乗り出した襄のことをも案じていたということだろうか。

【この道、この墓は新島襄にふさわしいのかも】
襄のことはほとんど知らない。
しかし、明治の初めにキリスト教教育を目指すという道を選ぶのは苦難の道であったろう。
襄は40代で死んだ。
そのときも、同志社の将来が明るかったわけではなかったろう。
そう考えると、この坂道、この墓、いずれも苦難に満ちたパイオニアであった彼の人生を反映したものだともいえるのかもしれない。
そして彼は今、妻と共に静かに眠っている。

(弁護士 大澤龍司)

燕温泉:春の雪原を行く

ボス弁:季節のこころ模様
06 /19 2017
タイトル画像(妙高2)決定


(妙高高原滞在3日目の5月5日は燕温泉に行った。
その写真と簡単な文章をお届けする。)

硫黄のにおいがする。
狭い道を水が流れている。
雪解け水ですか?と聞くと
先生は、硫黄の匂いがするから、温泉の水だろうという。
細い道の右側に旅館やペンション風の建物がある。
左側には土産物屋が3軒ほどある。
燕温泉はそれだけの街並みであった。



①燕温泉の街並み
燕温泉の街並み、道の左右の建物で全てである


坂道の上がり切ったところは雪景色だった。
赤倉温泉から更に登ってきたバスの終点、
燕温泉は標高1100メートル。
5月5日なのに、冬がまだたっぷりと残っていた。


②坂道の行きついたところは雪原
坂道の行きついたところは雪原となっていた


土産物屋に《バスタオル レンタル料 400円》との看板があった。
《こんなところでバスタオル?》と不思議に思った。
雪の斜面を登って行く。
先生が先頭だ。
足取りもしっかりしている。
80歳を超しているが、達者なものだ。


③春の雪
春なのに、ほら、こんなに雪が



15分程、登ったところに露天風呂があった。
男風呂と女風呂とは分かれているが、
風呂は外からはほぼ丸見えであった。
バスタオルはここで必要になるということらしい。



④男風呂
男風呂は雪原から丸見えであった


斜面の途中で滝が見えた。
惣滝といい、はるか遠くの山の方にある。
日本の滝百選に選ばれたという。


⑤惣滝
はるか遠くに流れ落ちる惣滝がみえた

  


⑥雪原
雪原を下りていく人あり・・


雪の斜面から降りてきた後、《花文》という宿の風呂に入った。
《燕温泉》のバス停のすぐ上にある建物だ。
丁度、昼過ぎだった。



⑦花文
 《花文》というしゃれた名前だった


服を脱いで風呂の扉を開けたとき、驚いた。
風呂場の床に寝ている人がおり、立ち上がってきたのである。

昔、九州の指宿温泉に行ったとき、地域の共同浴場に入ったことがある。
そこの風呂場に横たわっている人がいた。

木の枕があり、床面近くに開けられた窓から風が吹き抜けていた。
いかにも気持ちよさそうであった。

そのとき、いつか、このような経験をしてみたいと思った。

この燕温泉で洗面器を枕代わりにしてしばらく、寝転んでみた。

残念なことに、心地よいという感じではなかった。
風が吹き抜けていなかったせいだろう。

薄い乳白色の湯で、ほこりのような湯の花が水中を漂っていた。
穏やかなぬくもりがある、とてもいい温泉であったが。

時間が戻るが、雪原で一服しているときのことだ。
撮影しようとしたところ、先生が空を見上げていた。
しばらくの間、そのような姿勢を続けていた。
何を見ていたのだろうか。


⑧好田先生
 《おお、神よ!》


先日、お会いしたときにこの写真を見ていただいた。
この写真、《おお、神よ!》というタイトルにしようと思っているのですよ、と言ったら笑っておられた。

その時、何を見ておられたのかは聞かなかった。
先生も説明されなかった。

なにか《聖なるもの》を感じられたのか、あるいは空を飛ぶ鳥をみておられたのか。
説明することでもなく、質問することでもない。

答えがわからないままの方が、より印象深く、こころの中に留まるということもあるだろう。

(弁護士 大澤龍司)

5月の風に吹かれて妙高山を撮る

ボス弁:季節のこころ模様
06 /06 2017
タイトル画像(妙高2)決定


妙高山を見るための一番、定番の場所は《いもり池》である。
実は昨年の9月、長男と来たことがある。
その時は曇りで、妙高山頂は雲の中であった。


①昨年のいもり池
昨年のいもり池。山頂は見えなかった。
水面は外来種の水草が大繁茂していた。



今回、5月3日と4日はスッキリと晴れており、
青空を背景にした妙高山を見ることができた。
まずはその写真を見ていただこう。



②雪を頂く妙高山と咲きだした桜
雪を頂く妙高山と咲きだした桜



ついでに妙高山に向かって左側の黒姫山の写真も載せておこう。
確か、昔、そういう名前の相撲取りがいた。

③黒姫山
黒姫山。妙高山ほどのゴツゴツ感はない
なだらかで、姫という名が似合っている



ところでここに載せた写真だが、ここに来たみんなが同じような写真を撮っているようだ。
手前にいもり池、そこに咲くミズバショウを入れたり、いれなかったり、そして頂上に雪を頂いている妙高山と役者がそろって、まるで絵葉書のような写真になる。
《きれいですねー》とほめられても、それは景色がいいのであって、撮影している人の腕前をほめているのではない。

まあ、率直に言えば、個性がない写真とでも言えようか。
目先を変えて、夕方に撮影したが、名脇役の夕焼けがないため、ただ、薄ら黒い山になってしまった。


④夕方撮影
夕方に撮影。
夕焼けがあればもっと違う感じになったが。



前景を変えようと、いもり池のバス停から建物を入れて撮ってもみたが、これも、又、絵葉書写真になっている。


⑤いもり池のバス停からの絵葉書写真
いもり池のバス停からの《絵葉書写真》


前景に人を入れてみたらと考えて、好田先生を入れた写真を撮った。
もし、魅力のある写真になっているとすると、それは先生の持ち味が写真に反映しているということだろう。

代り映えしないというのなら、それは私の写真の腕が悪いということにしておこう。
より、悪くなったというなら、それは・・・・


⑥好田先生
我が恩師、好田先生


ついでに頂上にかかる雲をいれた写真もご覧いただこう。
少しはアクセントになっているだろうか。


⑦妙高高原3日目の朝
妙高高原3目日の朝、今日も爽やかである


いもり池から苗名の滝方面にバスで10分ほど走ったところに、杉野沢を超えたあたりには畑が広がっている。
信濃の黒茶褐色の土が広がっていた。
農家の女性が3人ほど、耕作をしていた。
ジーンズなどではなく、みんな野良着姿であり、それがかっこよく見えた。
いかにも風景に溶け込み、妙高山と一体の景色として溶け合っているようだ。
《あ、ここを撮影したい》と思ったが、バスはもちろんそんな気持ちを考慮することなく、サッサと通り過ぎていった。

ミレーの画で「落穂拾い」というのがあるが、あのように女性をアップしたようなものではなく、しかし、人物が点々のような小さいものでもいけない。
妙高山という大きな自然、農作業をしている人間の営み、それらを調和した形で写真に取り込むというのもいいかもしれないと思った。

突然、話が変わるが、妙高高原へは東海道新幹線経由(東京⇒長野)で来た。
静岡近辺で富士山が見えた。
曇りだったが、それでもふもとから頂上まで見えていた。
《絵に描いたような景色!》と声がした。
近くの座席にいた60代くらいの女性だった。
同じ言葉を3度も繰り返した。
車内に広がるような大きな声だったが、よほど、感激したのだろう。
窓の外の富士山を見たら、頂上まで見えていた、
しかし、曇天のため、背景は灰色で、私は感激などしなかった。
列車内の他の客も特に共感をするような雰囲気はなかった。
あの女性はなぜ、あのような感動をしたのであろうか。

今、カメラはデジカメ時代であり、ピントや露出だけでなく、その場の光が太陽光なのか電灯なのかまでも全て考えて、撮影してくれる。
もし、あの声を出した彼女がそんなカメラを持てば、どんな写真をとるのだろうか。
他人には見えない、彼女だけが見ている何かを撮影することができるのであろうか。

(弁護士 大澤龍司)