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天神橋商店街の古書店で、再び《万葉の旅》に出会う つれづれに万葉集②

ボス弁:季節のこころ模様
11 /27 2018
事務所の近くに、日本一長いと言われている天神橋商店街があり、その中の《天牛》という古本屋によく行く。
通りに面したところにワゴンがあり、文庫や新書が200冊、単行本が100冊くらい置かれている。
1冊が50円(単行本は100円。しかも税込み!)と格安だ。
ただ、煮出した紅茶にどっぷりと漬けて乾かしたように変色した文庫本もあり、印刷時期を見ると昭和25年などというものもある。
こんな本でも買うことがある。
既に販売が打ち切られ、現在では決して入手できないような貴重なものもあるからである。

欲しい本は、中古でもネットで簡単に買うこともできる時代だ。
本を買う目的がはっきりしており、あるいは書名がわかっている場合にはとても便利だ。
これに対して、ワゴンの中の文庫や新書は、まさに偶然の出会いだ。
品はない例えだが、男が女を探す場合を考えれば、ネットは目標の彼女が決まっているような場合であり、後者は街で行きかう女を物色するナンパの世界だろうか。
ワゴンでの出会いでは、そのときの気分次第で、今までは読みもしなかったような分野の本を手に取ることができる。
しかも、1冊50円だから、10冊買っても500円であり、仮にそのうちの1冊が読んで楽しくて心に残れば、他の9冊がおもしろくなくとも十分に元はとれることになる。
買った本の中には、《あー、そういう考え方があったのか》と全く知らない考え方や世界の見方を教えられ、感激することもある、わずか50円で。

少し前であったが、そのワゴンの中に万葉集の研究で有名な犬養孝先生の《万葉の旅(上)》を見つけた。
大学生のとき、先生の講義を受けたことがあった。
その際、文庫本で《万葉の旅》上中下の3巻を買ったが、今は手元にはない。
懐かしくもあり、その本を買った。
文庫本ではあるが、分厚く、ずっしりと重い。
万葉集の和歌とそれが作られた場所が、写真付きで、詳しく、まさにページが活字で埋め尽くされているような感じで、ぎっちりと述べられている。
(万葉については言いたいことがやまほどあるが、少ししか書けないという気持ちがページや行間から伝わってくるようである)
このぎっちり感、この重量、《そうだ、そうだ、こんな感じの本だった》という、昔の記憶がもどってきた。

その後、天牛のワゴンに万葉集の本が次々と並ぶようになり、結局、これまでに6冊を買った。
病院で夢うつつに頭に浮かびだした万葉集が、眼の前に具体的な本の形で現れたのである。
これも何かの縁というべきものだろう。
文庫本の《万葉の旅》について言えば、いまだに上巻しかない。
中、下巻は買わないかって?
もちろん、買います、いつか、ワゴンに50円で並んでいるのを見つけたときに。
しかし、その時がいつなのか、果たして本当に入手できるかどうか、極めて心もとないのではあるが。


天牛書店
行きつけの中古書店「天牛」



万葉の旅
懐かしの文庫本。実に50年ぶりの再会である。

つれづれに万葉集① 手術後に突然、頭の中を万葉集が・・

ボス弁:季節のこころ模様
11 /22 2018
約6年前にがんで胃を半分切除した。
術後、おどろくようなことが起こった。
手術から、3日ほどたった夜のことだ。
寝ようとして部屋の明かりを消した。
壁になにかが写っている。
よく見ると、いろんな動物がモザイクで壁に貼りついている。
象、キリン、ワニ、鹿。
窓の外を見たが、外からの光で写っているようではない。
そのうち、そのモザイクが動き出したのだ。
夢ではない、はっきりと眼が覚めていた。
ないものが見える幻視というものだろう。

同じ日であったかどうかははっきりとしないが、
寝ているような、起きているような、いわば《夢うつつ》という状態のときであった。
万葉集の中の和歌がぐるぐると廻りだした。
《青によし 奈良の都は咲く花の・・》
《東の野にかぎろいの立つ見えて・・》
《三輪山をしかも隠すか・・》
この3つが、順番に湧き出し、繰り返し、何度も頭の中をめぐるのである。
《なんと、素晴らしいのか!!》という大きな感動を伴って。
どこがどのように素晴らしいというような分析などは全くなく、ともかく《すごい》という怒涛のような感情の渦が頭の中を駆け巡った。
大学生のとき、体育の教官が、《昔、自分は精神がおかしくなった時期があった。そのとき、ゴッホの絵に感動し、本当に素晴らしいと思った!》と語っていたが、おそらく似たような経験であったろう。

このような異常な体験は1日だけで、その後は出なかった。
原因はわからない。
それまであった胃の一部を、手術で《無理やり》とってしまったことで、切除部分とつながっていた脳の神経細胞が、どこか違うところとつながったものなのかもしれないし、あるいは麻酔の悪影響がかなりの時間を経ても、なおかつ、脳に悪影響を与えたのかもしれない。
しかし、なぜ万葉集だったのだろうか。
それ以降、万葉集が頭の隅に住み着いたようである。
これまでに万葉集についての本を読んだり、旅行に行って風景を見たりした時にふと考えたことを、これから不定期に掲載していきたい。


甘樫の丘から見た明日香
甘樫の丘から見た明日香の風景。
右端の高い山が畝傍山、その左手の2つの峰が二上山である。

今年の夏は葛城山で避暑⑦ 旅はやはり、特急に乗って

ボス弁:季節のこころ模様
11 /15 2018
今回の旅行は阿部野橋から御所まで近鉄電車で行った。
ネット(ヤフー路線情報)で確認したところ、特急に乗っても、急行に乗っても、到着時間は10分程度しか変わらない。
しかも、御所までの特急はなく、途中の尺土(しゃくど)という駅で特急から普通に乗り換える必要がある。
そのため、御所に行くときは急行に乗っていった。
急行は通勤型であり、進行方向に平行な長い座席である。

帰りは、尺土から特急に乗った。
行きにはそれほど思わなかったのだが、特急の座席に座ったとたんに落ち着いた気分になった。
横並びに座る席ではなく、前向きの2人掛けのシートである。
進行方向と同方向なのは気分がよく、楽である。
1両で5~6人しか乗っておらず、人は少なく、落ち着く。

乗客は少ないから、長男とは別々に、それぞれ窓際の座席に座った。
早くは着かないが、止まる駅も少ない。
足元を見ると、木材が使われていた。
到着する時間はせいぜい10分程度しか変わらないのではあるが、それでもゆっくりとできる。
特急料金は500円程度だったが、それで旅行気分が味わえるなら、少しの贅沢もいいもんだ。


近鉄電車の床は木目調
特急の床は木目であった。



近鉄電車の車窓から
車窓から、夏の二上山が見えた。

今年の夏は葛城山で避暑⑥ 雨の中、役行者の修行場・クジラの滝を見る

ボス弁:季節のこころ模様
11 /14 2018
葛城山2日目は山頂から麓まで歩いて降りた。
葛城山へのメインの登山道は、豪雨で道が崩れ、通行禁止になっていた。
そのため東尾根のコースで下山した。

尾根筋の道は、いわば山の背にあたる部分のため、通常は見晴らしの良い景色が続くのだが、ここは違った。
道は雨のために深くえぐれている上に、左右には樹木が茂っており、見晴らしなど望むべくもない。
わずかに途中に見晴らし台があり、そこのただ1ケ所だけが景色が良かった。

朝は晴れていたが、昼過ぎから雷を伴う猛烈な雨となった。
用意していた傘をさして道端で休憩を取った。
小降りになったので、麓のロープウェイ駅の近くまで降りた。
ずぶ濡れ状態だったので、すぐにロープウェイに乗って宿舎に帰ることも考えたが、近くに櫛羅(くじら)の滝があり、昔、役行者がここで修行したと伝わる。
せっかく来たのだからと、その滝を見に行った。
途中、晴れのときなら、水がないか、あってもせいぜい10センチくらいの細い小川があったが、今までに降った水があふれ、流れていた。
そこを渡ったときには、靴は水没し、靴下まで濡れてしまった。

山岳仏教の開祖である役行者が修行したのだからさぞかし、深山幽谷であり、大きな滝であろうと思ったが、高さはせいぜい7メートル前後だろうか、迫力があるとは到底言い難く、本当にどこにでもあるような滝であった。
滝であるから、岩盤から水が流れ落ちているのであるが、下流は岩がなく、一面砂、花崗岩が風化した白砂(真砂土)であり、これも迫力がないと思わせる理由の一つである。

しかし、考えてみれば、その場所がどのようなものであれ、当の本人である役行者がどのような気持ちで修行するかの問題であろう。
大昔、このような場所には人は来なかったであろうし、心行くまで修行に打ち込むことができたであろう。
そのようなどこにでもあるような、ありふれた滝を修行地としながら、その結果として修験道の開祖となったということであれば、場所にとらわれずに1つの宗教を完成させた役行者の、人間としての偉大さをこそ賞賛するべきだといえようか。


ありふれた滝
よくよく考えれば、何十メートルの高さであれば滝に打たれての修行などできない。この程度の高さがほどほどというべきか。

今年の夏は葛城山で避暑⑤ 葛城山頂の直下の木にかってに《役行者の松》と名付ける

ボス弁:季節のこころ模様
11 /13 2018
宿舎から歩いて5分程度で葛城山頂に行きつく。
頂上には自然の岩石などは全くなかった。
花崗岩が風化してできたであろう薄い褐色の土のほぼ平らな台地で、周辺に草が生えていた。
周辺の山として、大峰山系の山々も見え、眼下には大和三山、三輪山から奈良や御所の街並みも見え、見晴らしはよかった。

頂上の少し下の斜面に、京都の高山寺の石水院から見える、私が勝手に《明恵の松》(山の尾根の《明恵の松》)と名付けていると同じような姿の松があった。

この葛城山の麓の滝《櫛羅(くじら)の滝》で役行者(えんのぎょうじゃ)が修行したという話がある。
役行者は、修験道という山岳宗教の開祖のような人であるらしい。
今でも、大峰山や熊野の山々奥駆けなどといって、険しい山野を歩き回って修行している山伏がいるが、彼らは修験道の行者ということのようだ。

何日にもわたり、山をひたすら歩き続けると、体が疲れ切り、自分の意識も、朦朧としてきたようなとき、周囲の環境と自分との間のバリアが無くなり、自然と一体としての自己を確認できるという一種の《宗教的》体験ができるのであろうか。
マラソンなどで長距離を走っているとき、20キロをすぎたあたりで、苦しさが飛び、ランニングハイという状態になることがあるという。
頭の中にエンドルフィンだかわからないが、《快楽物質?》なるものが出てきて、なんとも幸福な気持ちになるらしい。
山を何日も歩き続ける苦行を重ねると、同じようなハイな状態にもなるのであろうか。

時折、テレビなどでほら貝を吹く山伏の姿が放映されている。
日本全国に広がった修験道は、今でも脈々として引き継がれている。
役行者もまた、明恵と同じく、道を求めた孤高の人であり、時代を開いたいわば《宗教的イノベーター》である。
ここ葛城山直下約10メートルに根を生やしているこの木、冬は寒い風雪にさらされながらも、なおかつどっしりと根を生やしている、この木を私は、勝手に《役行者の松》と名付けることにした。


山頂へなだらかな坂
山頂へはなだらかな坂が続く。
もう秋の気配を感じさせる。



役行者の松
勝手に《役行者の松》と名付けられた山頂直下の木